タロット愛月先生の動画を拝見して、勉強しています。
アウトプットのため、リーディングの記録をとっています。
先日、
母の言動にもやもやし、
それが発酵して怒りに変化しました。
Q.彼女との関係を今後どのようにとらえるか。
A.5.司祭(Hierophant)17.星(Star)
母とは信仰、”善”と捉えて信じる事柄が違います。
子ども時代は
彼女の言うこと=絶対的に信じなければいけないこと
と思って従っていました。
今、彼女の意見に対して、
それは違うな…と感じることが非常に多いです。
でも尊重はします。
彼女と私は違う人間だからです。
彼女は私を同一視したがっていたけれど、
私はあなたとは違う、という姿勢を
全面に出すようにしたら、
彼女の支配的な言動は昔に比べて鳴りを潜めました。
そう思って数年経過してからの
先日の出来事がありました。
彼女はやはり自他の境界線が曖昧です。
油断していました。変わっていませんでした。
自分の甘さにも腹が立ちました。
私の信じる者は私。母ではありません。
彼女の信仰、私の信仰だけでなく、
人にはそれぞれ信じているものがあります。
かつて世界でたった一人、
私が大好きで大切だった人は
今は私の世界とは違う世界に生きている人、
違うものを信じている人です。
尊重はします。それだけ。それ以上もそれ以下もありません。
司祭を引いて以上の事柄を考えながら、
次の星について考えます。
もう彼女におびえることは必要ないと気が付きました。
母の信念=自分の信念だと思っていましたが、それは違います。
私も母との境界線が曖昧なまま、ここまで来てしまっていました。
裸、むき出しのそのままの自分になって私自身を再構築。
ここまで考えていたら、
なんとなく次の展開に希望を感じていました。
これまでため込んでいた感情をひたすら流していく、
手放していく、軽くしていく。
カードには裸の女性が水瓶から
ひたすら大地に水を流していくイラストが描かれています。
裸族になって、
自分の好きな服を着て
自分の好きな場所へ行き
自分の好きなことをしていく。
自分の選択で自分が自分を生きていく。
結論:
信じるものは人それぞれ。私も母も尊重される存在である。
母へのもろもろは、いろいろ考えても自分にとって今はもう意味をなさない。
もっと言うと、考えてもしょうがない、無駄なこと。
これまでのことは流すところまではいかないけれど、
手放して次の関係性の模索をしていく。
タロットをひくまで思い出しては腹が立っていましたが、
不思議とこのリーディングで結論付けてから
起こった出来事に対して怒りを感じなくなっていました。
愛月先生、すごい。